「ホワイトナイト」
第五章

ホワイトナイト51

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「わかりました」
 山岸がごく淡々と一言答え、伏し目に何度か頷いた。   
「山岸さん……」
 その平坦すぎる言い方が憤怒の深さの現われのようで、猛はゴクリと唾を呑みこんだ。しかし、山岸は話は終わりと言わんばかりに顔を背け、自身の膝を両手で叩いて腰を上げた。
 そのうえ、いつのまにか事務所のそこかしこで聞き耳をたて、事の成り行きを見守っていた仲居や男衆を振り返り、    
「こんな所で油売ってないで、早く持ち場に戻りなさい。仕事が押してしまうだろう」    
 と、叱咤する。 そして、そのまま仲居達を廊下の外へ追いやりながら、山岸自身も事務所を離れた。

「ちょっと、山岸さん……っ!」
 山岸の背中を唖然と見送る猛の前で、房子もすぐさま席を立ち、慌てて後を追って出る。その間、一度も猛の方を振り向かなかった二人の足音が忙しなく遠ざかり、やがて霧に紛れるように消えていった。

 唐突に取り残された事務所は閑散として寒々しく、硬直した沈黙の中で、柱時計の針だけが冷たく時を刻み続けた。
「やっちゃったのかな……。マジで、俺」
 もしかしたら、速攻で山岸に辞表を出されるかもしれない。    
 猛は自嘲しながら頭を掻き、誰に言うともなくひとりごちた。そうして頽れるように革のソファに体を沈め、黒塗りの太い梁天井をうろんに眺める。

 陽介と稼業を天秤にかけたせいで、自分は長年尽くしてくれた従業員も仕事もすべてなくしてしまうかもしれない。
 母親の跡を継いでまだ九ヵ月。
 たった九ヵ月で、代々続いた彦坂旅館を終わらせてしまう無能な『バカ旦那』になり下がるのか。
 苦い笑いで頬を歪め、重い目蓋をそっと閉じる。 けれども焼け野原に一人で佇み、雲ひとつない碧空を見上げるような静けさだった。  

 ただ、働き盛りの山岸には高齢の両親と妻と高校生の男の子が二人、中学生の女の子と小学生の女の子がいる大家族だ。房子の方は母一人子一人の母子家庭。
 陽介が戻る前に、芹沢会長にもっと大きな圧力をかけられて、旅館がつぶれてしまう可能性がないとは言えない。 

 たとえ二人が踏み止まってくれたとしても、結果的に失業させてしまうかもしれない。
 もしかしたら、自分は従業員とその家族の一生に関わる重大な過ちを犯しかけているのだろうか。考えても考えても正しい答えは浮かばなかった。

 しかし、猛はそれでもと、ソファの背もたれに頭を預け、腕で目元を覆い隠した。事務所の外のフロントの方で、癇癪混じりの呼び鈴の音が微かに聞こえた気がしたが、身動ぐこともできずにいた。 


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