「向かい風を行く」
第四章

向かい風を行く 35

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「……ヨシキさんは」
甲斐が一歩前に踏み出した直後、
廊下で筧が美貴と甲斐を呼びつける声がする。
と同時に、開いた戸口から榊原が顔をひょいと覗かせた。
「今日はもう、そのぐらいにしてやって。こいつもあんまり寝てないっていうし」
「榊原さん」
「お前もバイト、来週いっぱい休んでいいから。
ちゃんと寝て食って、建て直して来い」
美貴の肩越しに甲斐にも告げて、榊原は顔を引っ込めた。
そんな彼を追うように、美貴の傍らをすり抜けた甲斐が、
廊下まで出て足を止めた。

「嫌になったのはヨシキさんじゃありません。俺はもう自分が嫌になってるだけですから」
喘ぐように言い募る甲斐に、美貴は虚ろな目を向けた。
「……なんで?」
「噂が出た時、一瞬でもヨシキさんを疑った自分が本当に嫌で。
もうヨシキさんに合わせる顔ないって思ったから」
甲斐は大きな掌で顔を覆い、天を仰いで首を振った。
美貴も不意に刃物で脇腹をひと突きにされたかのように、
喉をぐっと詰まらせた。

「疑ったんだ……、俺のことも」
頭のどこかで考えないでもなかったが、実際口にされるとショックだった。
悔しいぐらい何も言葉にできずにいると、甲斐は拳を握り締めた。
「こんなことまで考えなきゃいけない自分が、
今は本当に嫌なんです。だから……」
と言って口を噤み、慌ただしく廊下へ出て行った。
その甲斐の荒々しい足音が、あっという間に遠退いた。

美貴は背中でそれを追いながら、拳を固く握りしめた。
何かを壁に投げつけて、ぶつけて壊したいような、
言葉にできない歯がゆさが身体中に吹き荒れた。


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