「死か降伏か」
第二章 綾なす姦計

死か降伏か 32

 ←死か降伏か 31 →死か降伏か 33
茶屋の女中に案内されながら千尋は急こう配の階段を上がり、
逸る気持ちを抑えきれず、廊下の途中で小走りに女中を追い越した。
しかも、千尋が向かう奥の間からは、
何やら懐かしいような香ばしい匂いが中廊下にまで漂っている。

才谷さいたにさん!」

奥の間の襖を開けると同時に、はしゃいだ声が思わず出た。

「おう。まっこと久しぶりじゃのう」

中にいた総髪の男が、片手を上げて千尋に応える。
男は鴨川に面した出窓の縁に尻を掛け、長い足を西洋風に組んでいた。
やや猫背ではあるものの上背があり、肩幅が広く、胸板も厚い。
一目で剣豪だとわかる体格だ。

また、面長でのっぺりとした顔立ちは美男とまでは言えないが、
腫れぼったい目蓋のせいか、垂れた目尻に
こぼれるような愛嬌がある。

「遅くなって申し訳ございませんでした。ご足労頂きまして痛み入ります」

千尋は敷居の前で膝をつき、深々と頭を下げて無礼を詫びる。

「よせよせ。ほがな堅だらしぃこと」

しかし、才谷の方は気さくに答えて頓着もせず、
早く早くと、千尋を窓辺から手招いた。
見れば、料亭の座敷に七輪を持ち込んで銅網をかけ、軽く前後に振りながら、
その上で小粒の豆を煎っている。

「やっぱりコーヒーなんですね? 外まで匂ってきてましたよ」 

千尋は才谷の傍らに走り寄り、銅網の上を覗きこんだ。
大豆用の煎り網の中では香ばしく色づいたコーヒー豆が踊っている。
 
「なんちゃー、知ってたがかー……」
 
途端に才谷は肩を落とし、豆を煎りつつ溜息をついた。

「おんしはなんちゃー、よお知っちゅうから、驚かせるがやき苦労する」
「驚きましたよ。こんな茶屋の座敷で七輪焼いてるんですから」
 
鼻のつけ根に皺を寄せて笑う千尋のやわらかい頬を、
才谷がつまんで引っ張った。

「なんちゅう可愛い顔をするがだ。おまんも焼いて食っちまいてえ」
「離してください。しゃべれませんから」
 
千尋は餅のようにのびた頬で苦笑しながら眉を下げた。
今は脱藩浪士であるものの、才谷の生まれは土佐郷士とさごうし
生家は裕福な豪商だとも聞いている。

にも関わらず、町人の自分に対しても分け隔てなく接してくれる。 
そんな彼との三月ぶりの再会をひとしきり堪能したのち、
千尋の方から今夜の密談の水を向けた。


「薩摩は、どうでしたか?」
「ああ、いかん。集成館しゅうせいかんが真っ先にやられた。
イギリス艦隊に城も町もなんちゃーじゃかも灰にされて、薩摩は惨敗。
まあ、当たり前ゆうたら当たり前やき」

才谷は苦々しげに眉を寄せると、銅網を降ろし、代わりに鉄瓶を七輪にかけた。

今から1年前の1862年。
武蔵国生麦村(現・神奈川県の横浜港付近)で、薩摩藩主の行列に乱入した騎馬の
イギリス人を無礼とし、薩摩藩士が斬殺した。
イギリスは加害者の藩士の引き渡しを要求したが、薩摩藩はこれを拒否。
そのため、イギリスの東洋艦隊が鹿児島湾に襲来した。

武器弾薬や大砲製造から、洋式帆船の建造など軍事力強化を目的として
創設された集成館しゅうせいかんを始めとし、
東洋艦隊の砲撃は市街地にまで及び、
薩摩は僅か数日間の攻防戦で、あっけなくイギリスに降伏した。


才谷は自国の脆弱さが我が身のように腹立たしかった。
もどかしかった。
銅網で炒ったコーヒー豆を木製のミルに豆を移し換え、七輪の火で葉巻を炙る。
才谷は葉巻をふかしつつ、苦虫を噛みつぶしたような顔で
ミルのハンドルを回し始めた。

そのミルで豆を砕く音に黙って耳を傾けて、
千尋は才谷の静かな怒りが収まるまで、ひっそりと待っていた。

「イギリスは、何て言ってきてますか?」 
「薩摩が賠償金を出すんやったら和平すると言っている。
先だっての生麦事件なまむぎじけんで幕府が払わされた賠償金が
四十万ポンド。だとすると、なんぼ吹っかけてくるかぇ」
 
千尋を算段するように、上目使いに鋭く視線を投げかけた。

「ですが、今回は国ではなくて薩摩藩への賠償請求ですからね。
地方に金が回っていないことぐらい、向こうも承知していますから。
現実的にならざるを得ないでしょう。
前回では幕府に四十万請求した訳ですから、二、三万ポンドで手を打ってくるんじゃないですか?」
 
「出せるがか?」
「今の薩摩藩には無理ですよ。集成館の建造に、いくら注ぎ込んだと思ってるんです。 
才谷さんだって、ご承知のはずだ」
 
千尋は遠い目をして葉巻をふかす才谷からミルを引き取り、
軽快にハンドルを回し始めた。すると、才谷は陶製の灰皿に灰を落とし、
葉巻の先で千尋を差す。

「おんしのことだ。俺が言うちゅうのは」
「……私が、ですか?」
「おんしに二万ポンドが出せるがか?」


(注1)土佐郷士
階級の低い下層武士
(注2)集成館
薩摩藩主の命により、軍事力強化を目的として創建されたアジア初の近代洋式工場群。
特に製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造から洋式帆船の建造、
武器弾薬、食品製造、ガス灯の実験など幅広い事業を展開した。
(注3)薩英戦争さつえいせんそう
薩摩藩の行列を乱したとして、イギリス人三名が薩摩藩士に殺傷された生麦事件なまむぎじけんの賠償を迫り、
イギリス艦隊が鹿児島湾に襲来。
軍事施設だけでなく、鹿児島市街地にも甚大な被害を及ぼした。
(注4)生麦事件
薩摩藩が犯した事件であるにも関わらず、
イギリスから請求された賠償金は幕府が負担し、
支払った。ただし、殺害に携わった藩士の引き渡しは薩摩藩が拒絶した為、
薩英戦争に発展した。




にほんブログ村
にほんブログ村 BL小説

小説投稿サイト【 カクヨム 】でも、
『東京ラプソディ』という、昭和初期のカフェーを舞台にした、レトロなBLを書いています。
東京ラプソディの【 カクヨム 】ページは→ こちら から
スポンサーサイト



 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png ホワイトナイト
総もくじ 3kaku_s_L.png ほんとのことを言ってくれ
総もくじ 3kaku_s_L.png 夜のギヤマン
総もくじ 3kaku_s_L.png 死か降伏か
総もくじ 3kaku_s_L.png 咲かない桜の桜守
総もくじ 3kaku_s_L.png 向かい風を行く
もくじ  3kaku_s_L.png 電子書籍関連
総もくじ  3kaku_s_L.png ホワイトナイト
総もくじ  3kaku_s_L.png ほんとのことを言ってくれ
総もくじ  3kaku_s_L.png 夜のギヤマン
総もくじ  3kaku_s_L.png 死か降伏か
総もくじ  3kaku_s_L.png 咲かない桜の桜守
総もくじ  3kaku_s_L.png 向かい風を行く
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【死か降伏か 31】へ  【死か降伏か 33】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 現在非公開コメン卜投稿不可です。
  • 【死か降伏か 31】へ
  • 【死か降伏か 33】へ