「死か降伏か」
第二章 綾なす姦計

死か降伏か 29

 ←死か降伏か 28 →死か降伏か 30
蔦屋の奥座敷で座卓に向かい、
裏帳簿を書き終えた花村が、廊下の隅で千尋をそっと呼び止める。

「このところ、この方々からの御支払いが滞っておりますが」
 
座敷に招かれた千尋が帳簿を見れば、
ツケ払いが溜まっているのは長州と薩摩藩士ばかりだった。

「長州も薩摩も羽振り良く見せてはいます。
ですが、実情は火の車のようですね」
「……そのようです」

この店は、呉服を誂えに来る各藩士らの内情を
探るための要所でもある。
千尋は花村と目と目を交わし、頷き合って座敷を出た。
そして改めて見ると、年若い主人は珍しく総髪の髷を整えて、
薄墨色のしゃ着物の上に紗の黒羽織を合わせている。
それは商売を終えた商人が、くつろいで就寝しようという
姿形でないことだけは明らかだ。

「こんな夜更けに、どちらかへ?」
 
こうして身なりを、ほんの少しいじったら、
彼にはまだ前髪の寺小姓のように、こぼれるような色気がある。
とはいえ、千尋は酒が呑めない質だった。多少、喘息ぜんそくの気があるからだ。
だから、旦那衆と連れ立って花街に繰り出すということも、ほとんどない。
あるとするなら、接待としての『付き合い』だ。
それを知る花村は千尋の異変に気がついた。
 
「誤解しないでくださいよ。むさくるしい相手と二人きりで
おもしろくもない話をしてくるだけですから」
「そうでしたか。ですが、何だかご妻女さいじょへの言い訳のようですね」

花村は目を細め、やはり何らかの密談の場に呼ばれたのだと
推測した。ただ、誤解されたくない相手は自分ではなく
久藤なのだということも、花村は言わずもがなで理解する。
それが微笑ましくて、顔に出た。

「花村さん」
「ご心配には及びません。久藤さんには私からちゃんと言っておきますから」

千尋は見透かされて気恥ずかしいのか、
渋面を浮かべて睨んできた。
 
こんな夜更けに出かけたことを久藤が知れば、
どこに誰と行ったのか。
まるでこの世の終わりであるかのように騒ぎたてるに違いない。
だから万が一、久藤が訪ねて来たならば、
千尋は商談に出たことにする心づもりでいたのだが。

「では、いつも通り裏口のかんぬきは私が開けます。
お戻りになられたら、お声をかけて下さいね」
「いえ。……今回の帰りは朝になります」

しかし、千尋は急に顔を伏せ、どこか決まり悪げな口調で言った。

「……朝、ですか?」

たとえ夜に店を離れても、未明には必ず帰宅する律儀な主人が
朝帰りするという。ますます異例の外出だ。 
花村は一瞬眉をひそめたが、
千尋は素早く背を向けて、さっさと廊下を歩き出す。

どうやら今夜は何もかも詮索無用の話らしい。

何はともあれ、自分に課せられた役割はは蔦屋の番頭として店をまわし、
千尋に何かあれば、堤や久藤に助けを求める。
それだけだ。
分をわきまえて、彼らの邪魔をしないこと。それが務めなのだと思っていた。

「いっていらっしゃいませ」
 
花村は千尋の後に従って店の外まで出てくると、
夕闇に沈む京の街に紛れて消える主人の背中を見送った。


(注1)しゃ
全体に透けて見える夏の生地




にほんブログ村
にほんブログ村 BL小説

小説投稿サイト【 カクヨム 】でも、
『東京ラプソディ』という、昭和初期のカフェーを舞台にした、レトロなBLを書いています。
東京ラプソディの【 カクヨム 】ページは→ こちら から
スポンサーサイト



 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png ホワイトナイト
総もくじ 3kaku_s_L.png ほんとのことを言ってくれ
総もくじ 3kaku_s_L.png 夜のギヤマン
総もくじ 3kaku_s_L.png 死か降伏か
総もくじ 3kaku_s_L.png 咲かない桜の桜守
総もくじ 3kaku_s_L.png 向かい風を行く
もくじ  3kaku_s_L.png 電子書籍関連
総もくじ  3kaku_s_L.png ホワイトナイト
総もくじ  3kaku_s_L.png ほんとのことを言ってくれ
総もくじ  3kaku_s_L.png 夜のギヤマン
総もくじ  3kaku_s_L.png 死か降伏か
総もくじ  3kaku_s_L.png 咲かない桜の桜守
総もくじ  3kaku_s_L.png 向かい風を行く
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【死か降伏か 28】へ  【死か降伏か 30】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 現在非公開コメン卜投稿不可です。
  • 【死か降伏か 28】へ
  • 【死か降伏か 30】へ