「夜のギヤマン」
第五章

夜のギヤマン15

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 よりにもよって鬼島に初めて相談したいと思った事が、「男を好きになってしまった」話になるなんて。 
 神谷はうつむき、強ばる頬を自嘲で歪める。   
このまま鬼島と距離を置けば、こんな気持ちは「いっときの迷い」で消えていってくれるのだろうか。こんな風にどうするべきかで思い惑う経験自体が初めてだった。 

 これまで自分で答えを出せない事なんてほとんどなかったはずなのに。
 神谷は翌朝、鈍い頭痛を覚えながら、それでも週に一度会社の幹部で開かれる定例会議はそつなくこなして廊下に出てきた。  

「神谷専務。お先に失礼致します」
 定時になって退社する女性社員に挨拶をされ、鷹揚に笑んで会釈で応える。一日会社で忙殺されているうちに、ようやく自分のペースが戻ってきたと安堵しながらスマホでメールをチェックした。と同時に、胸の鼓動がドキリと跳ねて、操作していた手が止まる。 

『シェリー酒ベースの新作カクテル登場』 
 という鬼島のバーのDMと、その下に添えられた『攻めに来いや』の鬼島の一言。神谷は社員が行き交う廊下の壁に咄嗟に身を寄せ、背中を預ける。 
 鬼島のメールを読むだけで胸がドキドキ早鐘を打つ。
 頭ではもう離れるべきだとわかっているのに、鬼島に来いと言われたら、何をおいても飛んでいきたくなってしまう。神谷は逸る気持ちを押さえきれずにほとんど定時で退社して、まっすぐ鬼島のバーを訪ねた。

「……今晩は」
 重厚な楡の扉をそっと押し開け、神谷が恐々中を窺う。
 採光の絞られた吊り下げランプと磨き抜かれた褐色の床。琥珀色の薄明かりのもと、バックバーの洋酒の瓶を映して艶めく一枚板のカウンター。低音のジャズが心地よく響く店内には、既に女性客が一人いた。 

「おう、さっそく来たな」
 その女性客にカクテルグラスをすすめながら、カウンター内の鬼島が目尻を蕩けさせる。堤もいつものように威厳溢れるグレーのスリーピースに身を包み、出入口まで迎えに来た。    
「いらっしゃませ、今晩は。鬼島も神谷君好みの新作ができたって、昨日からずっとはしゃいじゃってさ。神谷君まだかまだかって、うるせえの」
「そうなんですか?じゃあ新作って、この前シェリー酒のイベントで呑んだカルピスベースのカクテルなんだ」
 カウンターまで導かれながら話していると、鬼島が口を挟んでくる。 

「……るせえよ、堤!余計なこと言うんじゃねえ」
 鬼島は舌打ち混じりにその軽口をたしなめながら、手元のシェーカーに氷とシェリー酒、リキュールなどを流れるような所作で注いだ。
 爪の先まで手入れの行き届いた美しい指。
 あらためて見れば、鬼島が銀座のバーテンダーの矜持と自負をそんなところで示しているのがよくわかる。鬼島はやがて肩の高さでシェーカーを振り、開店直後の静かな店に氷の音を響かせた。
 そうして入り口付近の席についた神谷の手元に華奢な柄のカクテルグラスをすっと置き、薄桃色の液体を注ぎ入れる。

「女の子が喜びそうなカクテルですね」  
「そうでもないけん。呑んでみいや」
 神谷はいかにも女の子仕様のカクテルを前に苦い笑いを浮かべたが、ひと口呑んで目を見張る。    
「……どうや?」
「おいしいです。……もっと甘いのかと思ったら、最後にピリッとしたスパイスの刺激が舌に残って。不思議だけど、すごくおいしい」
「そうじゃろう?ベースはシェリーとカルピスじゃけんど、隠し味に豆板醤使っちょるんじゃ」
「豆板醤って、あの中華のですか?」
 驚きのあまり頓狂に声を裏返しながら訊ねると、満足そうに鬼島が頷く。

「甘いカクテルにタバスコ入れたりすんのは昔からあるレシピやけんの。見た目に反してキッツイとこも、なんか神谷みたいやろうが」
 鬼島は笑って屈託のない口調で言った。
「え……っ?」
 もちろんそれは言葉通りの意味なのだろうが、弓矢が胸に刺さったような衝撃で、神谷は一瞬呼吸が止まりそうになる。そのまま耳まで赤くして、目の前のカウンターへと頽れた。  

「どうした?神谷」
「……大丈夫です。すきっ腹に急に呑んで、ちょっとまわったみたいです」
 鬼島の口から神谷のようだと言われただけで、骨まで蕩けそうだった。
 自分が店に顔を出すのを今か今かと待っていたとか。お前のようなカクテルだとか。
 こんなリップサービスを、いちいち真に受けるほど子供じゃないと、必死に自分を律しているのに、自然に顔がにやけてしまう。額の汗をおしぼりで押さえ、挙動不審になっていると、水の入ったグラスを置かれる。

「珍しいの。そがぁに弱い方じゃねえのにの」
 頭の上では鬼島の訝る声がする。神谷自身もいい加減子供みたいに浮かれるのは止め、冷静になろうとした時だった。イライラとした女の声が平穏なバーに響き渡った。
「ちょっと、匠ぃ!こっちにもその新作カクテル作ってよぉ!」
 先客の女がくだを巻き、カウンターの対岸の席で鬼島をしつこく手招いている。神谷は鬼島を彼女の方へと目顔で促し、横目で女を窺い見た。

「もー……、接客なんか堤さんに任せりゃいいじゃん。今日はずっと一緒にいるって言ったくせにィ」             
 甘えた口調で訴えながら、カウンターに身を乗り出させて鬼島の袖を引いている。 
 日本人離れした立体的な顔立ちに派手な化粧。タイトなミニワンピースで強調した巨乳と脚線美の九頭身美女は、確か前にもああやって鬼島に絡んでいたはずだった。

 思わず恨みがましく鬼島を睨めば、鬼島が「違う違う」と顔の前で慌てたように手を振った。しかし、女は絡めとった鬼島の腕に泣き濡れた頬をすり寄せる。




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