「夜のギヤマン」
第四章

夜のギヤマン14

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「……なんや。神谷か」        
 神谷はわざと、よそよそしいほど堅い口調で名前を言った。しかし、どうしたんだと気さくに続けた鬼島の返事にノイズが混じる。いつになく声も遠く感じる気がして思わず訊ねた。  

「今、どこにいるんですか?」
「今か?……今は岩手じゃ。山ん中のホテルにおるけん。聞き取りにくいか?わしの声」   
「いえ、大丈夫ですけど。岩手なんてどうされたんです?夏休みですか?」
「いや。ちぃと知り合いに頼まれてイベントでシェーカー振りに来た。そっちはどうした?」
 屈託のないいつもの口調に、神谷は喉を詰まらせる。
 さっきまであんなに怒っていたのに、あまりに無邪気に問い返されると、何も言えなくなってしまう。神谷はそっと目を伏せて、苦笑しながら額を掻いた。 

「……ちょっと話したい事があったんですけど。……でも、またにします」 
「なんや?急に話って……」       
「いいんです。今からちょっと会えないかなって思っただけで、急ぎの用じゃないですし」
「……神谷?」
「すみません。失礼しました」
 神谷は一方的に通話を終えて電源を切る。
 何か言いかけていた鬼島の言葉もふり切って、スマホを鞄に突っ込んだ。

 実際、鬼島以外に売りたくないと訴えたところで、鬼島に理由を答えられない。自分でもどうしてこんな甘えた事を考えるのかと訝りながら、神谷は銀座の路地を歩き始める。 

 やはり一緒に硬水氷を作ったという思い入れが鬼島自身に転化されているのだろうか。
 ぬるい陽炎のたつ真夏の路面を革靴の底で蹴りあげながら、ぎゅっと奥歯を食いしめる。何にしろ、これ以上取引先の鬼島に粗相がないよう距離を置くべきなのかもしれない。



 神谷はその足で県外まで営業に行き、訪ねた事務所の営業マンと二人で呑んで帰ってきた。 
 そのため東京駅に着いた時にはギリギリ終電に間に合うかどうか。しかし、深酒をして足元さえも覚束なかった神谷はすぐに電車を諦め、一人でタクシーに乗り込んだ。 
「……桜新町一丁目の交差点まで」
 運転手へと自宅近くの目印を告げ、バックシートに体を預ける。

 しかし、このところ毎日のように鬼島のバーで呑んで帰っていたせいだろう。
 たった一日背を向けただけで心許なくなってくる。苦笑しながらスマホを出して電源を入れ、メールのチェックをした時だった。神谷は大声をあげてシートを離れる。

「ちょっと、なに?これ……っ!」
「お客さん……?」
 運転手から訝しそうに訊ねられ、神谷は肩を竦めて謝罪した。そうして再び顔に寄せた画面には鬼島のメールの受信履歴が十件近く並んでいる。
 ずっと電源を切っていた夕方以降に立て続けに届いたらしい。一気に酔いも醒めきって、慌てて電話をかけた刹那、コール音なしで鬼島に繋がる。

『コラァ、てめえ!今、どこおるんじゃ』
 ボケェ、オラァと凄まれながら広島弁でまくしたてられ、神谷は思わず顔をしかめる。
「どこって今、タクシーで帰る所ですよ」
『じゃあ、もうすぐ家ぇ着くんじゃな!』
 そのまま家に居ろとだけ告げ、鬼島は一方的に通話を切った。

 焦って運転手を急かした神谷が自宅の前でタクシーを降り、マンションの正面階段を昇りかけると、左側から別のタクシーが近づいてくる。街灯が白く照らす路上の脇で停まると同時に後部座席のドアが開いた。

「……鬼島さん」
 降り立ったのはTシャツにジーンズ姿の長身の人影。神谷は階段半ばで足を止め、呆然として呟いた。  

「急にどうしたんですか……」      
「どうしたって、お前が話があるって言うたやろうが……っ!」
 肩をそびやかせながら駆けつけるなり、鬼島が忌ま忌ましげに声を荒げる。激しく息を喘がせる胸。額に汗する鬼島を神谷は上から下まで眺めまわした。        

「……だって、今日は鬼島さん。岩手にいるんじゃなかったんですか?」

 両目を瞬かせながら訊ねると、鬼島が気恥ずかしげに頬を歪める。 
「……じゃけんど、心配するやろ!あれから電話に出やがらねえしよ。気が気じゃなかったんじゃい、こっちは!」
 と、バーテンとして招待されたイベントの後の懇親会には参加せず、とんぼ返りしてきた旨を打ち明けられる。
 懇親会の予定もあったという事はホテルも予約し、バーも休業していたのだろう。なのに全部自分のせいでと、神谷は顔を青ざめさせた。       

「すいません。……あの、本当にご迷惑をおかけして……」             
 謝罪の声を上擦らせながら階段を降りて頭を下げる。体中から冷たい汗を吹き出てくるのを感じていると、頭をぽんとはたかれた。
「迷惑なんて思ってねえよ。お前が無事ならええんじゃ、それで」
「鬼島さん……」
 小さな子供を宥めるように頭を叩かれ、神谷はつられて鬼島を見上げる。その言葉通り優しげにゆるめられた精悍な双眸。艶かしい肉厚の唇を微笑の形にたわめたまま、体を起こして鬼島が呟く。     

「……誰に慰めてもらってた?」
「えっ……?」

 どういう意味だと神谷は両目を瞬いた。けれども直後にキュッと頬をつねられる。  
「痛……って!」
 思わず悲鳴をあげた刹那、頬をつねった鬼島の右手がうなじをそっと撫でて離れる。 
「……今度は他の奴には連絡するなよ」
「鬼島さん……」
 神谷は魅入られたように瞳を震わせ、心許なく名前を呼んだ。それでも黙って踵を返した鬼島の背中がうつむきがちに遠ざかる。 

 アスファルトを蹴る軽い足音。
 男の姿が見る間に闇に紛れて消える。神谷はそれを為す術もなく見送りながら、途方に暮れて眉を寄せた。 
 鬼島が触れた頬が熱い。
 刻一刻と鼓動が高鳴り、息まで震えるようだった。 

 どうしよう、鬼島さん。
 神谷は胸の中でひとりごちると、切なく双眸を細めさせる。気づいた時にはこんなに好きになっていた。もう自分の気持ちを誤魔化すことはできないと、腹をくくって見上げた夜空に星はなかった。          




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