「夜のギヤマン」
第四章

夜のギヤマン13

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 前に恩田が鬼島の事を狡いと言って憤り、涙ぐんでいた事を神谷は朧に思い浮かべる。 
 確かに分け隔てなく皆に優しい鬼島といると、結局誰も彼にとっては特別ではない。そんな事まで骨身にしみるようだった。

 それを鬼島の狡猾さだとは思わなかったが、いじけたくなる気持ちはよくわかる。神谷が伏し目に苦い笑いを浮かべていると、ぽんと肩を叩かれた。
「じゃあ、神谷さん。これ、領収証です」
 皺深い目元を優しくゆるめ、茶封筒を差出したのは鬼島に紹介されたバーのオーナー。今日は初めて東のバーに自社の純氷を納品し、挨拶を済ませた直後だったと我に返る。

「ありがとうございます。どうぞ今後とも宜しくお願い致します」
 渡された封筒を鞄に入れて、神谷もいつもの微笑をたたえて会釈した。
 東のバーは料理も自慢というだけあって鬼島のバーより厨房も広く、コンロも冷蔵庫も大型だった。そのステンレスの大型冷凍庫へと三貫分の角氷を入れ、神谷は安堵の息を吐く。
 と同時に、長身の東が体を屈めて覗きこみ、遠慮がちに尋ねてきた。

「鬼島君に神谷さんの所の硬水氷の話も聞いたんだけど。もしできれば、うちにも卸してもらえないかな」
 東は控えめに言葉を選び、神谷をちらりと窺い見る。  
「えっ……?」
 神谷は瞠目をして息を呑み、口ごもりながらのけ反った。
 本来なら東のような銀座の老舗のバーテンダーに卸して欲しいと言われたら、氷屋としてはそれだけでもう名誉な話だ。 願ってもない話だと、以前の自分だったら速答していたはずだった。けれども神谷は恐縮しながら肩をすぼめ、しろどもどろに断りを入れる。

「……す、いません。あの。……実は硬水氷はすごく手間がかかりますので、今はこれ以上、量産できないんです」
「そ……、うか。それは本当に残念だなあ」
「申し訳ないです。せっかくおっしゃって頂いたのに……」
 心の底から残念そうに眉尻を下げる東に、神谷は心の底から真摯に詫びた。
 そのまま逃げるように東のバーの厨房を離れ、銀座のビルの裏通りへと駆け出してくる。ビルの窓ガラスが夏の日差しを反射して、肩で息を喘がせる神谷に容赦なくきつく照りつけた。
 神谷は首に流れる汗を手の甲で拭い、斜めに空を睨みあげる。   

 硬水氷を鬼島が東に薦めたのも、きっと鬼島の好意だったに違いない。
 むしろ好意以外の何ものでもない事が、今は神谷を苦しめていた。神谷は鞄の中からスマホを取り出し、イライラしながら電話をかける。 
 しかし、自分を通さずどうして勝手に東に話をつけたのか。
 今すぐにでも怒鳴ってやりたい神谷の気持ちに反するように、しばらくの間コール音が続き、やがて通じた気配が届く。
「……はい。鬼島です」
「お世話になります。神谷製氷所の神谷です」




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