「ほんとのことを言ってくれ」
第二章

ほんとのことを言ってくれ15

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「でも」
「春日さんには俺が話をしてくるから」
 それでも一瞬ためらいを見せる数馬に、野村は語気を強めて言い伏せる。同時に数馬を脇に寄せ、自分の鞄とスーツの上着をひと抱えにして出て行った。春日と野村が怒涛のように去っていくと、息をひそめてこちらを窺う客の視線が数馬を無言で責めたてる。

「お騒がせして申し訳ございませんでした。すぐ、ご注文の調理にかかりますので、もう少しお待ち下さい」
 数馬は店の客に頭を下げ、足早に厨房へと駆け戻る。
 今は野村の言う通り、板前として客を遇すべきだろう。ガスの火をつけ、注文を確認し、鰹の柵をスライスした。しかし、柄を持つ右手が目に見えて戦慄き、俎の上に包丁を置かざるを得なくなる。

 ワインの仕入れを増やすために、売上の減った焼酎をカットする。そう決めた事に迷いはないし、そうしなければならない事もわかっている。
 けれど、常連客にはそんな店の実情も理解してもらえるに違いないと、どうして勝手に思い込んでいたのだろう。震え
の収まらない右手を左できつく握りしめていると、カウンター席から声がかかる。

「カズ君さ。あいつもきっと不安なんだよ。だから、少し大目にみてやって」    
 春日の呑み友達で、常連でもある菊地が猪口を片手に苦笑いする。
「不安、……ですか?」
 馴染みの店が変わっていくのを怒る気持ちは、よくわかる。
 けれども、菊地のいう『不安』はどこから来るのだろう。 
 数馬が小首を傾げて目顔で問うと、菊地は一重目蓋の細い目をいっそう細めて微笑んだ。  

「俺達みたいな退職者は、ここみたいに『通える』場所があるってだけで、何となく安心できるもんなんだよ。なのに、だんだん向坂が若い人向けの店になっちゃって、俺達みたいな独りもんのジジィが居づらくなってさ。居場所なくしちまうのが不安なんじゃねえのかな」
「……そんなこと」
 確かに、新しい客層への対応としてワインを扱う事にした。
 もちろん、だからといって菊地や春日のような数十年来の常連層を軽んじるつもりは毛頭なかった。だが、そう受けとられても仕方がないような言動だったと、数馬は下唇を食いしめる。       
 
 新規の客にも常連客にも満足してもらうにはどうしたらいいのか。
 本来ならば店側の都合ではなく、もっと客の立場で考えるべきだった。数馬はあらためて苦い後悔に胸を焼き、自分の浅慮を深く恥じ入った。

 結局その日は機械のように手足を動かし、本当に客の注文に応えられていたのかさえも記憶になかった。
 最後の客がレジ前で勘定を済ませ、池内とともに店の外まで見送ると、数馬はやがて遠い目をする。とうとう春日も野村も店に戻ってこなかった。
 思わず肩で息を吐くと、隣で池内が苦笑を浮かべて言った。        

「……お疲れ様でした。本当に今日は」  
「えっ……?」
 咄嗟に傍らの長身を見上げれば、池内がいつになく慈愛に満ちた目で自分を眺め下ろしていた。そして、そのまま背中に添えられた手で促され、踵を返した時だった。   
「数馬……っ!」
 叱りつけるような鋭い声音が深夜の裏路地に響き渡った。続いて硬質な革靴の音が近くなり、街灯の薄明かりの下、野村が姿を現した。            




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